学院の歴史
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1886
明治19年春
山手外国人居留地67番の日本語聖書印刷所で、アメリカ人宣教師シャーロット·A·ブラウンが私塾を始める。捜真の始まりである -
1887
明治20年10月1日
「英和女学校」の看板を掲げる。後年この日を創立記念日と定めた -
1890
明治23年9月
アメリカ人宣教師クララ·A·カンヴァースが第2代校長に就任 -
1891
明治24年 -
1892
明治25年4月
学則を制定。捜真女学校の校名を正式校名と定め、幼年科4年(現在の小学校に相当)·予科4年·本科4年とする- 校名
- 校長カンヴァースは教育の究極の目的は Truth seeking(真理をさがし求める)であると考えていました。そこで日本語の校名として、「索真」と「捜真」の2案から、教師と生徒が投票し、捜真に決まりました。
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1896
明治29年12月
幼年科校舎(分教場)が完成 -
1899
明治32年10月
私立学校令による認可を受ける -
1900
明治33年4月
宗教教育禁止(明治32年文部省訓令第12号)により幼年科廃止 -
1906
明治39年この年
同窓会誕生 -
1909
明治42年 -
1910
明治43年7月
現在地の神奈川区中丸に新しい校舎が完成し、移転- 戦前の校舎
- 畑と林の広がる丘に、学校のシンボルであった白い塔とニューイングランド風の建物は遠くからも見えました。川端康成の小説の挿絵にもなった美しい校舎でした。
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1914
大正3年10月
共練会(生徒会)発足 -
1923
大正12年9月
関東大震災発生、関東学院に校舎を貸与、共立女学園生を受入 -
1925
大正14年7月
アナベル·ポーレー第3代校長に就任 -
1929
昭和4年5月
高垣勣次郎第4代校長に就任 -
1932
昭和7年12月
坂田祐第5代校長に就任 -
1942
昭和17年7月
財団法人捜真女学校となる -
1945
昭和20年5月29日
横浜大空襲で校舎全焼6月
関東学院の校舎で授業再開 -
1946
昭和21年4月
共練会活動を再開 -
1947
昭和22年2月
千葉勇第6代校長に就任 -
1948
昭和23年2月
PTA発足4月
中丸に新校舎1棟が落成- 新校舎1棟
- 資金も資材もなく、校舎再建の目途が立たず、学校の存続は難しい局面にありました。そのとき、卒業生の保護者で建設会社を経営している松尾嘉衛門氏が校舎の建設を引き受けてくださいました。また、当時貴重品であったガラスは、アメリカの女性たちからプレゼントされ、一枚一枚に‘LOVE GIFT’(愛の贈り物)のシールが貼られていました。こうして平屋の校舎が建ちましたが、教室は足りず、毎日、校庭に大きなテントを建てて教室代わりに使っていたそうです。「当時、教師になったばかりの私は、毎朝テントを組み立て、夕方片付けるのが日課でした」との天野昭一先生(元捜真女学校教諭·捜真小学校校長)の言葉が残っています。
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1949
昭和24年2月
エーカック記念図書室命名式 -
1950
昭和25年6月
正制服が制定- 女学校制服
- 1886年の創立当時、捜真の児童·生徒はたもとの長い着物に帯を結び長方形のエプロンをかけて学校生活を送っていました。山手34番時代の終わりごろ、カンヴァース先生はより活動しやすい服装が必要と考え、制服として袴(はかま)の導入を決めたのです。最初はえび茶色でしたが、後に紺青色に変わりました。1934年、新しい制服としてセーラー服を着用するようになり、戦後、1950年には現在の正制服が制定されました。準制服のスカートは、約20年着用したボックスプリーツ型から、2015年、現在のオリジナル·タータンチェック柄プリーツに変わりました。この新しい準制服のスカートは学校が数種類を提案し、在校生の投票を経て決定したものです。2020年、ポロシャツとスラックスも加わりました。ポロシャツは在校生の投票で2色を決めました。
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1951
昭和26年2月
学校法人捜真女学校設立認可 -
1956
昭和31年10月
創立70周年記念式典
旧本館(戦後初めての鉄筋コンクリート造)落成 -
1957
昭和32年4月
捜真小学校が再開される 小学校PTA発足- 小学校制服
- 再開された小学校では、女学校と同型のブレザーに、女子は丸襟のブラウスとプリーツスカート、男子は開襟シャツに短ズボンを着用することになりました。冬はベレー帽、夏はピケ帽をかぶります。2016年にポロシャツ(紺色)を含む新しい夏制服を導入しました。校内では動きやすい校内着で過ごします。
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1959
昭和34年- 自然教室
- 御殿場の「自然教室」は、現在宿泊修養会、部活動の合宿などに利用されている施設です。1957年8月、元松平家の別邸(約3千坪)の土地と建物を購入。その年、捜真小学校の児童が最初の「自然教室」を経験し、「五右衛門風呂に入った」そうです。2年後、宿泊施設を建て、小学校は3学年ごとに、女学校は学年ごとに、毎年「自然教室」を行っています。敷地内には、ポーレー·メモリアル·ホール、日野メモリアル·ホールがあります
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1961
昭和36年11月
小学校旧本館校舎が落成 -
1962
昭和37年5月
カンヴァース·メモリアル·チャペルを献堂 -
1967
昭和42年4月
温水プールのある体育館が落成 -
1970
昭和45年4月
小学校同窓会が誕生 -
1973
昭和48年4月
日野綾子第7代校長に就任 -
1980
昭和55年4月
ユキホールが完成 -
1981
昭和56年この年
校庭の自然公園をベタニヤガーデンと命名 -
1983
昭和58年3月
小学校新校舎が落成 -
1984
昭和59年7月
御殿場「自然教室」にポーレー·ホールを献堂 -
1986
昭和61年2月
パイプオルガンをチャペルに設置10月
創立100周年記念式典 -
1988
昭和63年4月
法人名を捜真学院と改称 初代学院長に日野綾子が就任 -
1991
平成3年9月
現在の学院本館が落成 -
2000
平成12年4月
飯島節子第2代学院長に就任 -
2005
平成17年9月
「自然教室」新本館の献堂式 -
2007
平成19年11月
小学校開校50周年記念式典 -
2010
平成22年この年
中丸移転100周年 -
2014
平成26年4月
中島昭子第3代学院長に就任 -
2016
平成28年4月
小学校にビオトープを建設10月
学院創立130周年·カフェテリアと自習室を含む7号館落成- 新しさの中に歴史を覚えて
- 7号館1階のカフェテリアをM.L.コルビー·メモリアル·ホールと、進路指導コーナーや自習室のある2階をC.A.ブラウン·メモリアル·センターと名付けました。創立の時代を覚えるためです。庭には大きなモミの木が植えられています。
12月
山手に学院発祥の記念碑を建立 -
2021
令和3年4月
SOSHIN ACTION PLAN 135 を発表10月
学院創立135周年